太平洋戦争と東京裁判の全貌。満州事変から太平洋戦争終結まで。太平洋戦争終了後、昭和二十一年五月に東京軍事裁判が開かれ、昭和二十三年十二月二十三日、東条英機以下七名が戦犯として絞首刑に処せられるまで、長期間にわたって日本は裁かれた。さまざまなことが明るみに出された「東京裁判」の全貌を歴史に沿って収録。昭和初期の日本軍閥には強力な武力によって中国を強圧すれば、華北占領の目的を一挙に達成できるという意図があった。南京陥落の前に中国軍は撤退しており、南京は無抵抗の都市であった。そこであの南京虐殺が日本軍によって行われたとされたが、その責任者は松井司令官であると検事は論告した。弁護側はこの不祥事件の責任を全て日本側が負担すべきものではないと反論した。つまり、それは広島、長崎に投下された原爆による数十万に及ぶ無実の市民たちの凄惨を極めた“犠牲”は誰の責任であるのか。戦争の中にもみ消されていった真実を誰が握るというのか。戦後二年間以上続いた「東京裁判」。この戦勝国側によって執り行われた裁判とは一体、何だったのか。南京城の攻防戦、真珠湾攻撃、インパール作戦、ミッドウェー海戦、不沈戦艦武蔵の最後、そして原爆投下まで、東京裁判をとおし、昭和初期から太平洋戦争終結までの日本の惨劇を描いた長編記録映画。(1967年制作・日本)